全てはデカルトのせい「精神の軽視」「身体=機械」

デカルト

ルネ・デカルトは中世の哲学者。

「我思う故に我あり」という言葉は有名です。いかにも西洋らしい考え。

それは置いといて、医学が身体と心を切り離して考えるようになったのはデカルトが原因です。

デカルト以前では、心も身体も密接な関係があると思われていました。つまり心の状態が身体にも影響するということ。

しかしデカルトは切り離して考えた。身体は精密機械のような物と考え、心と切り離したのです。そして、身体の問題は医学が、心の問題は宗教が担うようになりました。

大問題ですよね。我々人間は身体と心があってのものです。切り離すことなど不可能。

人間は精密機械ではない

デカルト的思考だと、うつ病は脳内化学物質によるものであり、薬で物質を補填すれば治療できるということになります。しかし実際は違う。トラウマや精神的ストレスは、薬を飲んでも消えるものではない。当たり前です。

デカルトのせいで、精神医学の発展が300年は遅れました。フロイトが現れなければ、どうなっていたのでしょうか。

とはいえ現代医学は未だに、デカルトの負の遺産を引きずっています。これだけ医学が発展したのにも関わらず、身体を精密機械のように考える医者がいるということです。

病気Aは腫瘍Bを取り除き、薬Cを投与すれば治療できる。そう考える医者が多すぎる。

実際は違う。すべての症状、治療には精神が関わっていて、そう簡単なものではない。

同じ手術をしたとしても、治療が早い人と遅い人には精神状態に違いがある。プラシーボ効果やストレスが関わってくる。その治療を信じているか、疑っているかでも治療に差は出るということを分かっていない。

また神経質な人に、安易に不安を煽ることも、治療の妨げになることも分かっていないのです。例えば「〇〇しないと、一生寝たきりですよ」という医者のセリフ。死刑宣告のようなを発言をして治療を遅らせていることに気づいていない。患者は不安に取り憑かれて、憂鬱になるでしょう。暗い精神状態では、治るものも治りません。「〇〇しときましょう。大丈夫、治りますから」というポジティブなセリフだけ十分なのです。(要は言い方の問題)

精神医学に疎い医者は、腫瘍を取り除き、薬を飲ませれば病気は治ると思っているため、心のケアはどうでもいいのです。デカルト的思考。いい加減にしろと言いたくなります。この考え方は特に若い医者に多い。

デカルトがいなければ、医学は精神の力をもう少し重要視していたでしょう。現代医学は心を軽視しすぎています。精神は我々が思っているよりか重要なのは間違いないです。

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