夏目漱石にもあった引きこもり時代

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お札にもなった日本一有名な文豪「夏目漱石」。

本名は夏目金之助といいます。代表作は「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「草枕」など。

そんな彼にも引きこもり時代がありました。

いかにして彼は引きこもったのか?そしてどうしたのか?今回は漱石の引きこもり時代にスポットを当ててみます。

エリート街道からの引きこもりコース

夏目漱石は天才でした。

帝国大学の英文科卒業です。帝国大学は今の東京大学です。そして、英語教師になってます。

つまり超エリート。この時代に大学を卒業し、英語がペラペラだった人は珍しかったでしょう。

あまりにも優秀なので、文部省からロンドン留学を命ぜられます。国の経費で留学ができるなんて羨ましい限り。

当然、英語が堪能で天才的な漱石は留学も上手くいくはず……

引きこもった理由

ところが留学は大失敗でした!

留学費用があまりにも少なくて、生活は超貧乏。まぁ文部省がケチだったんですね。今までエリートコースの漱石にとって過酷すぎる環境。

あと僕の推測ですが、当時のイギリスではアジア人に対して風当たりが強かっただろうと思います。今でこそグローバル社会なので、人種が違っても平等に接しようという精神がありますが、当時はそんなの無かったはずです。植民地が当たり前の時代ですからね。

とにかく漱石はロンドンに馴染めず、次第に精神状態がおかしくなっていきます。

やがて引きこもるように。

神経衰弱と言われていますが、今でいう鬱病だと思われます。漱石は胃潰瘍にもなっており、ストレス耐性は低いです。

話が少しそれますが、小説家は皆、繊細です。神経質じゃなかったらいい文章は書けません。

自分の語彙の中から最高の単語の組み合わせを見つけていくのが、執筆という作業です。文法は間違っていないか。誤字脱字はないか。重複はないか。ありきたりな表現になっていないか。とても細かい作業です。なので神経質というのは、小説家に必要な性質です。

漱石にとって人生最大の挫折。一番どん底にいた時だと思います。

あまりにやばい状態なので帰国命令が下ります。そして日本で療養することになるのです。

名作誕生秘話

漱石は療養中に、リハビリがてらに小説を書きます。

なんとそれが「吾輩は猫である」です。そう、この名作は漱石が人生のどん底にいる時に書かれたものなのです。

漱石も名作にしようと思っていません。最初につけたタイトルは「猫」でした。 自分の作品にこの塩対応ぶり。

高浜虚子が、タイトルが塩すぎなので、「吾輩は猫である」に改題しました。虚子ナイスプレーです。

ということで、災い転じて福となったのでありました。もし夏目漱石が引きこもらなければ、名作は生まれなかったですし、普通の人生を歩んでいたかもしれません。歴史に名を残すことは無かったでしょう。

まとめ

人生何が起こるか分かりません。引きこもりからの逆転ホームランもあるのです。

引きこもると、時間が有り余りますから、趣味に没頭できるし、勉強すれば常人をはるかに凌ぐ教養を身につけることができます。

実は漱石は引きこもり時代に、ディケンズなどの本を読み漁っております。漱石の成功は引きこもり時代に得た知識が土台になっていたのです。

参考:夏目漱石 – Wikipedia

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