無音なのに感動「戦場のピアニスト」シュピルマン実話

カイブツ

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「戦場のピアニスト」は僕が一番感動した映画です。

映画を何千本と見てきましたが、この映画だけは別格。飲み込まれます。

【ストーリー】ユダヤ人ピアニストの実話

ユダヤ系ポーランド人のシュピルマンはピアニストとして働いていた。しかし第二次世界大戦が勃発。戦況が悪化していく中、ユダヤ人は腕章をつけることを義務付けられる。さらにゲットーと呼ばれる、隔離地区に押し込められ、人権はなくなっていく。シュピルマンはゲットーから脱出。ゲットーではユダヤ人たちが蜂起するが、ナチスに虐殺される。

シュピルマンは知り合いに匿ってもらったりして、逃亡生活を続ける。

瓦礫と化したワルシャワ。シュピルマンは廃墟の中をさまよう。服はボロボロ、栄養失調で身体は痩せこけている。話す気力もない。何もない世界。

廃墟の中でシュピルマンはナチスドイツの将校に見つかってしまう。しかし彼はシュピルマンを殺しはせず、食料を与えて助けるのだった。

見どころと感想

クライマックスが廃墟で無音という、すごい映画である。

瓦礫と化したワルシャワの引きの画を見た時に、何も言えず、ただただ飲み込まれる。本当にいい映画というのは、セリフなどなく、無音でも感動させる力を持っている。

登場人物

この映画は実話を元にしています。登場人物も実在した人物です。

シュピルマン

ウワディスワフ・シュピルマン(1911~2000)

シュピルマンの人生

幼少時からフランツ・リストの弟子であったヨセフ・ミスドヴィッチとアレクサンデル・ミハロフスキ(英語版、ポーランド語版)にピアノを学んでいる。ワルシャワのショパン音楽院でピアノを学び、20歳からベルリン音楽大学でレオニード・クロイツァーとアルトゥール・シュナーベルに師事した。しかし、1933年、ヒトラーが政権を掌握したことにより2年でポーランドへ帰国。ワルシャワでポーランド放送のピアニストとして音楽家活動を始める。

この時代、シュピルマンはクラシック音楽の演奏活動のほか数多くの大衆音楽を作曲、自らも演奏した。なかでも彼が作曲し、カジミェシュ・ヴィンクラー(Kazimierz Winkler)が作詞した明るいジャズ調の歌謡曲『ワルシャワの赤いバス』(”Czerwony Autobus”)は、ポーランド人が最も愛する曲の一つとして現在でもよく歌われており、ポーランド人はこの歌とともに戦前の美しいワルシャワの街を想像するのである。この曲は著作権もすでに切れており、現在では動画サイトの発達によりYoutubeなどで視聴できる。ワルシャワの市バスの色は赤が基調で、現在では上半分を白にしてポーランド国旗を表す場合と、上半分を黄色にしてワルシャワ市旗を表す場合がある。

1939年にヒトラーのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発。ドイツ占領下のポーランドでナチス・ドイツによるユダヤ人への大量虐殺(ホロコースト)を目の当たりにする。家族全員が絶滅収容所送りとなり、ワルシャワ蜂起後の廃墟を逃亡する中を、ドイツ軍の将校ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉によって命を救われた。

戦後はポーランド放送へ復職。1946年に戦時中の体験をまとめた「ある都市の死」を出版し、2002年にはこれを原作とした映画『戦場のピアニスト』が公開された。

引用:Wikipedia

英雄

シュピルマンを助けたドイツ将校の名はヴィルム・ホーゼンフェルト。彼はナチスドイツでありながら、改心し、密かにユダヤ人たちを助けていた。その後ソ連軍の捕虜になり、強制労働所で死亡。ユダヤ人を助けたドイツ将校が強制労働所で死んだことに、世の中の不条理さを感じる。

ユダヤ人を助けたことがバレれば、間違いなく殺されるだろう。彼には妻子がいたので、家族の身も危ない。そのリスクを背負ってまで、助け続けたのだから、彼の勇敢さには敬意しかない。

2007年にポーランド政府から、生前の功績を讃え、ポーランド復興勲章授与された。

映画では、彼の扱い方がやや不自然だ。まるで彼が捕まったときの保険の為に、ユダヤ人を助けていると勘違いする人もいるだろう。そこだけが、この映画の傷である。

さらに詳しく知りたい人は

夜と霧という本がある。こちらも実話である。

絶望した時こそ希望が必要な理由-ユダヤ人強制収容所での実話-

参考文献リスト

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